雛人形に願いを「八女ぼんぼりまつり」
雛人形一色!雛の里「八女ぼんぼりまつり」
2020年2月23日(日)八女市で第23回「雛の里・八女ぼんぼりまつり」が始まりました。期間内の3月22日(日)まで、白壁通りの町家と大正町、清水町商店街など合わせて100カ所以上で雛人形が展示公開されています。この期間中は様々な催しが行われます。オープニングセレモニーやパレード、ひなマルシェなど楽しい企画が盛り沢山。残念ながら、今回の新型コロナウイルスの影響で一部中止・変更になったものもございますが、変わりなく八女地域を楽しめるイベントとなっております。イベント内容の中止・変更につきましてはこちらをご確認ください。
街並みの歴史と魅力を知る「横町町家交流館」
まずは白壁の通りにある「横町町家交流館」を訪ねてみましょう。こちらには約300体以上の雛人形が展示されています。部屋中に敷き詰められた雛人形の光景は圧巻です!同じ雛人形とはいえ、ひとつひとつ表情が違うのを眺めるのも楽しみのひとつです。
展示会場内では雛人形の歴史や特徴などが時代ごとに解説されています。詳しい内容は是非、期間中にこちらを訪ねて確認してください。雛祭りと雛人形の歴史を学ぶことができるのもこのイベントとこの場所の魅力です。段飾りの雛飾りが主流だった世代にとっては、一段と目を引く、珍しい郷土雛が八女には存在します。それが「箱雛(はこびな)」です。
職人が叶えた!庶民の願い「箱雛」
全国に郷土雛は、数々ありますが、八女の郷土雛は「箱雛」。
現在も伝統工芸品が数多く受け継がれているこの八女地域には、古くから仏壇、提灯、大工たちが住んでいました。そしてこの雛人形作りは職人たちの副業として栄えたのです。「箱雛」の人形をよく見てみると、顏は漆喰、冠などの金具は仏壇の金具、着物も仏壇の金襴が使われています。男雛と女雛1体ずつ、木箱に収められ、贅沢禁止令の出た江戸時代には、見つからず隠せるようにさっと蓋ができるスライド式となっています。
「雛祭り」歴史は平安時代にさかのぼります。雛人形は本来『形代(かたしろ)』として、本人の身代わりに災いや厄を人形に移し、それを川や海へ流す「流し雛」に由来するといわれています。そのころ子どもたちの間で流行していた人形遊び(現代でいう「おままごと」)と結びつき定着したのが、「雛祭り」のはじまりと言われています。 やがて人形が段々と華やかになっていき、江戸時代になると、女の子の健やかな成長を祝うお祭りとして一般庶民にも広がっていきました。
しかしながら、京や江戸のような豪華な段飾りは、地方の庶民にとって手が出せない高価なものでした。子を持つ親としては、子の成長を想い、なんとか手に入れたいと願っていました。そこで庶民の願いをカタチにしたのが八女の職人たちでした。職人たちは身近にある道具や材料を組み合わせて雛人形をつくっていきました。「箱雛」に仏壇の金具や金襴などが使用されているのはそのためだったのです。「箱雛」は八女の職人の技術が結集して生まれたものなのです。
そして「八女すだれ」も、この「箱雛」の装飾として使用されています。現在も弊社(鹿田産業)では「箱雛」用のすだれを製造しています。
「八女すだれ」を通して日本の伝統文化である「雛祭り」を守り受け継いでいくのも私たちの使命です。
八女の数ある伝統工芸品が、こうしてひとつの作品として表現される。それも「八女」という職人の街の魅力なのかもしれません。
市民でつくる雛祭り「雛の里・八女ぼんぼりまつり」
「箱雛」が八女の職人たちの手でつくられたのと同様に、この「雛の里・八女ぼんぼりまつり」も八女地域の方々が協力して生まれました。「雛の里・八女ぼんぼりまつり実行委員会」の方にお話を伺うと、地域には人が集まるお祭りが必要だと語ってくださいました。地場産業で雛人形をつくっているのに、八女地域に雛祭りがないのは寂しい。祭りは人が集まる大事な行事。雛祭りは観光の側面からも充分に集客があるイベントになる。ひとりひとりの中にある雛人形の想い出と八女の街のお祭りとしての雛祭りが結びつけば大きな観光イベントになるはずだ。
そんな想いにより、1998年から開催された「雛の里・八女ぼんぼりまつり」は、今年で23回目となります。いまではすっかり八女の一大イベントとして定着しました。それも八女の地域の方々の努力の賜物です。
市民ボランティアで製作した「竹取物語in旧八女郡役所」や約100カ所に展示されている雛人形は、市民でつくりあげた雛祭り「雛の里・八女ぼんぼりまつり」の象徴的空間でもあります。
この期間内に八女の街を歩けば、色んな表情のお雛様とあたたかい八女地域の方々に出逢えるはずです。八女の伝統ある街並みと、職人たちの技が光る伝統工芸を楽しんでみてはいかがでしょうか?