フランス能舞台へ「八女すだれ」寄贈!
日仏文化交流拠点に「八女すだれ」寄贈!
2019年5月23日、弊社(鹿田産業)は、熊本市との交流都市、フランスのエクサンプロバンス市 (Aix-en-Provence)にある熊本市在住能楽師狩野琇鵬(かの しゅうほう)氏が寄贈した能舞台に八女すだれ「御翠簾(おみす)」を寄贈しました。熊本市が行ったエクサンプロバンス市との交流都市事業に参加し、同市サントミレ公園(Parc Saint-Mitre)内の日本国外で唯一の総檜造り能舞台に八女すだれ「御翠簾」を飾りつけいたしました。
今回の舞台となるエクサンプロヴァンス市は、フランス南部(プロバンス・アルプ・コートダジュール州ブーシュ=デュ=ローヌ県)に位置し、パリの南750km、リヨンの南280km、地中海に面したマルセイユの北25kmのところにあり、マルセイユ・プロバンス国際空港から市内中心部まで15km、エクサンプロバンスTGV駅から市内中心部まで8kmのところに位置しています。
ローマ時代から「水の都」と呼ばれ、街中の至る所に大小の噴水があります。15世紀にプロヴァンス伯爵領の首都として古くから繁栄した古都であり、17世紀~18世紀の建物をそのまま保存した街並みが有名です。また、「近代絵画の父」と称される画家のポール・セザンヌの故郷であり、セザンヌゆかりの地を巡る観光ルートがあります。
毎年夏に世界屈指の3大オペラ祭といわれる「エクサンプロヴァンス国際音楽祭」が開かれ、世界中から多くの観光客が訪れます。2013年の「欧州文化首都」に認定され、1年に亘り様々な文化イベントが実施されています。日仏の文化を発信するに相応しい都市といえるのではないでしょうか?
能舞台がつなぐ熊本市とエクサンプロバンス市
熊本市、エクサンプロバンス市の関係は、1984 年熊本日仏協会のエクサンプロバンス市訪問に始まりました。当初は、両市交流に大きな進展は見られなかったようです。 しかし、その数年後、熊本市在住の喜多流能楽 師狩野琇鵬(かの しゅうほう)氏が、関係者から譲り受けた能舞台の移築先を探していたところ、日本の能について熱心に研究してい るフランス人の学者が「能楽の内容は、高度な文学、芸術性があり、音楽にも不思議な魅力がある。医学的な要素も加わった最高の舞台芸術である。」と絶賛し、さらに、熊本市在住で南仏出身のフランス人が「エクサンプロバンスの国際音楽祭で日本の能を見学できないものか。世界中の人々が能を見るきっかけになる。」と狩野氏に相談していたことなど、 能をめぐる様々な動きがありました。そうした中で、日本を代表する伝統芸能の一つである「能」を世界の人々に紹介していきたいとの熱い思いを持たれていた狩野氏は、1992 年、能舞台をエクサンプロバンス市に対し、無償で移築・譲渡することを決定し、両市の実質的な民間交流が始まることとなったのです。
「八女すだれ」が引き寄せられた能とフランス
今回の寄贈につながる話は、弊社代表の鹿田和正が、2017年5月5日住吉神社能楽殿(福岡県福岡市博多区住吉3-1-51)の「第21回ふくおか市民能」を鑑賞したことに始まります。福岡市能楽協議会の方からの「住吉神社能楽殿の御翠簾を修理できるか見に来て欲しい。」との声を聞いた、かねてからお付き合いのあるフランスとの企業連携コーディネーターのJEXPOさんから依頼を受けたのです。そこで偶然能を見に来ていた、フランスの方に話しかけたところ、「実はフランスにも能舞台があるんです。」という話を聞いたのです。
「能舞台がどこあるのか?」を調査していたところ熊本市と交流都市提携をしている南欧のエクサンプロバンス市にあることが分かりました。「なぜ熊本市なのか?」を調査していたところ、2018年10月に熊本市が交流都市5周年を記念した交流事業セミナーを行うことが分かったのです。早速、そのセミナーへ参加し、1992年4月 熊本市在住能楽師狩野氏がエクサンプロヴァンス市に能舞台を寄贈したことで交流都市となったことが分かり、市職員に狩野氏への挨拶を依頼しました。
2018年12月熊本市の狩野氏の稽古場に出向き、「能舞台に八女すだれ(御翠簾)を寄贈させていただけませんか?」と申し入れをしました。
狩野氏の承諾を経て、今回、2019年5月に熊本市が行うエクサンプロバン市との交流事業に弊社が参加させていただき、同市のサンミトル公園内にある能舞台に八女すだれ「御翠簾」の飾りつけを行いました。
日本のすだれは「結界」を表します。「神聖」な空間をつくる日本人の「精神性」を表すものです。
能舞台は寺社仏閣と同様に「神聖」な場所であり、「能」は日本人の「精神性」を表現します。
日本の「精神性」を重んじる伝統工芸「八女すだれ」と伝統芸能「能」
フランス エクサンプロバンス市にある日本国外で唯一の総檜造りの能舞台。
国境を越えたこの土地で、確かな日本伝統の融合が生まれたことには、大きな意義があるでしょう。
日本伝統文化を世界へ。
新たな挑戦が始まる。